森のようちえん 入園式

先日、森のようちえんの入園式に参加した。

長男は、年中になるのだが新しくこの春から登園する子どもたちの入園式+親の顔合わせに行ってきた。

子どもたちは、いつもの通り集合場所からお昼ご飯を食べる場所まで、色んなものに興味を持ちながら、時にはライオンになりながら、歩みを進めて行く。

僕の1年前もそうだったかもしれないが、『大人も含めた集団行動』という意識が強かったので、子どもに対して「早く行くで」と声を掛けていたが、今では子どもの一挙手一投足を見守ることが出来ている。どんだけ時間が掛かろうが、結局はその時間に目的地にたどり着くように歩くことを知っているから。



お昼ご飯を食べる広場に向かう途中、いつもの大きな木のところで遊びだす子どもたち。卒園生の小学校2年生の男の子が、一目散に木に登りだす。高さからして、10m近くはあったかもしれない。

『頼むから、落ちんといてくれよ』『木に登り降りする間に、ズボンを引っ掛けて破かんとてくれよ』『下にいる子どもたちに、木くずが降りかからないか』なんてことを、見ていた親たちは思っていただろうが(あくまで推測)、当の本人は、

・こんな高さまで登れるんだ
・俺を見てくれ
・俺がここまで登っているんだ

ということしか考えていない様子。人に認めてもらいたいという気持ちは、子どもであろうが大人であろうが、社会生活をする上である程度必要なことである。

この男の子も、大人たちが見ていることは知っているから、大人に見られて嬉しい気持ちがある一方、少し年上の子どもたち(幼稚園生の兄や姉)にもっと知って欲しい気持ちでいっぱいだった様子。

とはいえ、一回木から降りてきて、大人たちに「大丈夫か?」「すごいな」と声を掛けられ満足そうな様子で、「もう一回出来るよ」と言い残し、もう一回10m程度の高さを登り始めた。

幼稚園生(年中、年長)は、自分たちのスキルやレベルを把握しているのか、園のルールを守っているのか(大人がいないとこでは、木登りしない)、誰一人小学生に続く子どもはいなく、木の下で、何やら全く別の遊びをしていた。



木に登っている小学生を見ていて、ふと思ったのだが、小学校の校庭に「のぼり棒」があった。確か、あれも10m程度の高さだったと記憶する。

地面が平らなグランドで、「のぼり棒」が鉄製で、『ここはのぼり棒をするスペースです』と分かっているから、誰も心配しなかったのか。「のぼり棒」を登っていて、落ちたことのある生徒はいるはずだと思うが。

この木登りも、「のぼり棒」も、何も変わらない。高さだって、10m程度だから変わらない。起こりうるリスクは最大限に考えないといけないが、大人の目線で、心配な気持ち前提で、安易に「危ないから降りなさい」というのは、可能性を抑えてしまっているかもしれない。

この森のようちえんでは、『見守り保育』が行われている。この保育内容を理解するのに、僕自身も一緒に先生たちとキャンプに何度か行き、実感として理解出来てきた。

実践は、本当に大事なのだと思った・感じている次第である。しかし、春は春で野外が気持ちいいと、心底思ったNODA。




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