5月病と成長痛と、涙と笑い

長男が通っている森のようちえんは、縦割り保育である。

僕が幼稚園選びのポイントとしたのが、「縦割り」だった。いつか大きくなって社会に出れば「縦割り」での生活が当たり前で、そうであるなら最初から縦割りで育てておいて損はないと思ったから。

また、自分の性格や育った環境を振り返り、年上の人に影響され、年下を引っ張りという小学校時代を過ごしてきたので、その時代は良かったと感じることがあったため。

大人になると、年上だ年下だなんて関係なくなって、年齢を気にすると良くないことが多いので僕自身まだまだ年齢意識を矯正中なのだが。


プレ保育から通っている長男は、年中の今年が3年目である。プレ保育時代は、年長に憧れ、昨年の年少時代は年長に適度に遊んでもらい、そして今年の年中である。

年少時代もプレ保育の子どもが数人いたので、年下の手を取って遊ぶ、ということはあったのだが、春に一気に年少が増えたこともあって、少し環境の変化に戸惑っている様子。

いつも気に掛けてくれていた先生は、年少さんに手が取られる時間が増えたし、最後の年である年長さんは、新しいスキルを覚えるために、また子どもたちだけ(先生は同伴)でキャンプに行くためにプランを色々練らないといけないそうで、そっちにも先生が手を取られている。

『中間管理職』のような状態の年中は、宙ぶらりんな感じだそう。だから、家に帰れば母親に甘える時間が増えた。かくゆう、母親である奥さんも次男の手も掛かることから、長男にそこまで相手には出来ないので、ますます長男のフラストレーションは溜まる一方。

僕が遊び相手をしてあげるときにも、少し否定的な言葉を使うと「イヤーーー!!!」と言い地面やソファーに顔をひれ伏す動作が増えてきた。


こういう時期は何事にも必要なのだ、自力で乗り越えるしかない、と僕は思っているのだが、どうしても不憫に思えてくるので、出来る限り否定的な言葉を使わずに接するようにしている。

少し雨が続くので、またグズグズする日が続きそうだが、5月中旬にたんじょうびを迎え5歳になるので、それを機に少し言い聞かせを心がけて接してみようではないか。


行きつけのラーメン屋に、長男と2人で行ったとき、お子様セットについてくるオモチャを必死に探す。欲しいのがなかなか見つからず数分カゴを漁っていた。なぜかフードを被りカゴを漁る姿は、思春期の青年を彷彿とさせた。なぜにフードを被るのか。やましいことでもあるのか。ないか。

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